
2003年の12月からの丸2年、フィリピンはルソン島、マニラから北に向かって
バスで約7時間のところにあるパンガシナン州立大学陶磁器科に赴任していました。
主な任務は地元の土を陶器製作にふさわしい土にすることとそれを活かす釉薬の開発。
山から運んだ原土を木づちで砕くところからのスタートだったので、文字通り 「泥だらけ」の毎日でした。
今ではそれも貴重な経験。 研究機関で原土の分析実験に参加させてもらえたことやネイティブの釉薬を訪ね歩いたことは日本にいては決してできない体験でしたし、さらにそれまで日本で 灰立ての釉薬を中心に使っていた私が原料の少ない中 試行錯誤で行った 釉薬の研究は、まさに「次への扉」を開いてくれた時間だったと思っています。
お陰で陶房かたちからは今日もテスト用釉薬作りの乳鉢を擂る音が聞こえます。
主な任務は地元の土を陶器製作にふさわしい土にすることとそれを活かす釉薬の開発。
山から運んだ原土を木づちで砕くところからのスタートだったので、文字通り 「泥だらけ」の毎日でした。
今ではそれも貴重な経験。 研究機関で原土の分析実験に参加させてもらえたことやネイティブの釉薬を訪ね歩いたことは日本にいては決してできない体験でしたし、さらにそれまで日本で 灰立ての釉薬を中心に使っていた私が原料の少ない中 試行錯誤で行った 釉薬の研究は、まさに「次への扉」を開いてくれた時間だったと思っています。
お陰で陶房かたちからは今日もテスト用釉薬作りの乳鉢を擂る音が聞こえます。
